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 11月9日に教育文化部会・地域づくり部会主催の「八幡の歴史学習会」が八幡自治会館で、玖珠町教育委員会の野口典良さんを講師に行われました。毎年開催している歴史学習会で、講師の野口さんは3年連続となります。今年は、江戸時代に全国地図を完成させた伊能忠敬が、当時の八幡を歩いている記録があることから、その点に絞り深く学習をしました。

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  伊能忠敬は、1745年に上総国(千葉県)の名主(関西では庄屋にあたる)の家に生まれ、1762年に商人の伊能家の養子になっています。1794年に50歳での隠居後に江戸に出て天文学を学び始めます。1800年から1816年に17年の歳月をかけて日本列島を測量し「大日本沿海輿地(よち)全図」(伊能図)を完成させました。

 「伊能図」は当時の西洋の識者からも精度の高さが認識されるほどのものでした。

 その忠敬が、1812年の第2次九州測量で肥後(熊本県)の小国から日田、森、八幡、豊前(羅漢寺)と内陸部を測量しています。その年の7月4日に森本町に着いて2班に分かれて宿泊。翌日1班が先に森を出発、忠敬は6日に豊前国に向けて出発しています。忠敬の測量日記には、森から八重垣、内匠を経て鳥屋の養専寺に宿泊した記録が残されています。翌7日に豊前に向かっています。

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  ▲伊能忠敬の測量しながら通った森から内匠、鳥屋の図面

 その時、忠敬は角埋山、大岩扇山、内匠の景、屏風岩などをきっと見て通ったのではと思い浮かばれます。

 なお、森藩藩主の久留島通嘉が家臣に命じて作らせた「三郡名所杖」が全8巻で1844年に完成しています。「三郡」とは日田郡、玖珠郡、速見郡にあたります。「杖」は「図絵」のことになります。

 その中に、「手袋岩」、「毘沙門岩」などの「坂の上の景」や、岩の露出した「竈ヶ窟(かまどヶ岩)」の絵図が残っています。

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 ▲右側の岩が手袋岩、左の岩は毘沙門岩の絵図面(坂の上の池の横)

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 ▲かまヶ岩の絵図面

 講師の野口さんはこれらのことについて、会場の聴衆者にわかりやすく説明してくれて良い学習会となりました。